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若干18歳の五世家元
カテゴリー▼小原流って?

当時まだ若かった4世家元である父親、小原夏樹を亡くし、その後を引き継いだ現在の家元、小原宏貴さんの特集が、「家庭画報」の9月号に掲載されました。
まだ、高校を卒業したばかりの若干18歳が小原流の家元、という重責を背負うのはいかばかりか、なんてことを考えてしまいますが、ご本人はとっても自然体なのだとか。
続き…
小原流の歴史
カテゴリー▼小原流って?
小原流は19世紀末、小原雲心(おはらうんしん)が「盛花(もりばな)」という新形式のいけばなを創始して、近代いけばなの道を開いたことに始まります。
「盛花」は、口の広い器(水盤)に材料を「盛る」ように花を展開させるもので、それまでのいけばなの、いわば線の動きを主にした構成にくらべ、面的な広がりを強調したところに特徴があります。今ではおなじみの水盤と剣山を使ういけばなは、小原流が始めたものです。
創流してから1世紀、その時代の生活様式の変化にともなって盛花を基本に、現代空間にふさわしいいけばなを生み出してきたのが小原流です。
(- いけばな小原流 公式サイトより抜粋 -)
「盛花」は、口の広い器(水盤)に材料を「盛る」ように花を展開させるもので、それまでのいけばなの、いわば線の動きを主にした構成にくらべ、面的な広がりを強調したところに特徴があります。今ではおなじみの水盤と剣山を使ういけばなは、小原流が始めたものです。
創流してから1世紀、その時代の生活様式の変化にともなって盛花を基本に、現代空間にふさわしいいけばなを生み出してきたのが小原流です。
(- いけばな小原流 公式サイトより抜粋 -)
2001年01月01日 21:59
歴代の家元
カテゴリー▼小原流って?
<流祖 小原 雲心>
1861年~1916年(文久元年~大正5年)
松江の陶芸家の家に生まれる。単身大阪へ上り、展覧会に出品した作品が明治天皇のお買い上げを賜るが、病弱のため花の道に転身し、新しい盛花形式を創始する。
<二世家元 小原 光雲>
1880年~1938年(明治13年~昭和13年)
当初商人を志すが25歳にして花道界に入り、精進3年で生花の皆伝を受ける。流祖没後、専門家の養成に力を注いで流勢を拡大、雑誌やラジオ放送で盛花を全国に普及させる。
<三世家元 小原 豊雲>
1908年~1995年(明治41年~平成7年)
二世家元没後、異色の花展を開催。また戦後の焦土の中で花を展示、前衛いけばなの総師と目される。いけばなを世界に広める一方、流を法人化していけばなの民主化を果たす。
<四世家元 小原 夏樹>
1949年~1992年(昭和24年~平成4年)
三世家元の補佐役として世界を歴訪。シルクロードを舞台に作品集を刊行し、指導上でも若い世代に合う花舞・花意匠を創案するも、志半ばにして逝去。四世家元を追贈される。
<五世家元 小原 宏貴>
1998年~(昭和63年~)
四世夏樹家元の長子。創流以来100余年の歴史をもつ流派の伝統を伝えるため、流人の推戴により家元に就任。21世紀のいけばなを背負う家元として今後の活躍が期待されている。
1861年~1916年(文久元年~大正5年)
松江の陶芸家の家に生まれる。単身大阪へ上り、展覧会に出品した作品が明治天皇のお買い上げを賜るが、病弱のため花の道に転身し、新しい盛花形式を創始する。
<二世家元 小原 光雲>
1880年~1938年(明治13年~昭和13年)
当初商人を志すが25歳にして花道界に入り、精進3年で生花の皆伝を受ける。流祖没後、専門家の養成に力を注いで流勢を拡大、雑誌やラジオ放送で盛花を全国に普及させる。
<三世家元 小原 豊雲>
1908年~1995年(明治41年~平成7年)
二世家元没後、異色の花展を開催。また戦後の焦土の中で花を展示、前衛いけばなの総師と目される。いけばなを世界に広める一方、流を法人化していけばなの民主化を果たす。
<四世家元 小原 夏樹>
1949年~1992年(昭和24年~平成4年)
三世家元の補佐役として世界を歴訪。シルクロードを舞台に作品集を刊行し、指導上でも若い世代に合う花舞・花意匠を創案するも、志半ばにして逝去。四世家元を追贈される。
<五世家元 小原 宏貴>
1998年~(昭和63年~)
四世夏樹家元の長子。創流以来100余年の歴史をもつ流派の伝統を伝えるため、流人の推戴により家元に就任。21世紀のいけばなを背負う家元として今後の活躍が期待されている。
いけばな「小原流」二級家元脇教授の師範。
日本の伝統文化に日々触れながら、日本女性としての立ち振る舞いも習得したいところ。素敵なオトナの女性を目指して日々修行中。

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